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最高裁判所第三小法廷 昭和53年(あ)1076号 決定

本籍

大分県佐伯市大字木立五六五九番地

住居

同 別府市北浜三丁目五番一七号

ホテル経営

児玉誠

大正一〇年八月三〇日生

右の者に対する所得税法違反、恐喝、横領被告事件について、昭和五三年六月七日福岡高等裁判所が言い渡した判決に対し、被告人から上告の申立があつたので、当裁判所は、次のとおり決定する。

主文

本件上告を棄却する。

理由

弁護人山本草平の上告趣意は、事実誤認、量刑不当の主張であつて、刑訴法四〇五条の上告理由にあたらない。

よつて、同法四一四条、三八六条一項三号により、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり決定する。

(裁判長裁判官 高辻正己 裁判官 江里口清雄 裁判官 服部高顯 裁判官 環昌一 裁判官 横井大三)

○昭和五三年(あ)第一〇七六号

被告人 児玉誠

弁護人山本草平の上告趣意(昭和五三年八月一二日付)

原審判決は、判決に影響を及ぼす重大な事実誤認があり、かつその量刑において甚しく不当であるので破棄を免れないものである。

すでに本件各件各公訴事実の成否については、弁護人が昭和五一年七月一五日付控訴趣意書及び控訴審における最終陳述書においてその詳細を陳述しているものであるが、更に原審における証拠調べの結果、本件公訴事実の成否を左右 る証拠が出たにもかゝわらず原審はその証拠について何等の評価も与えなかつたことは、明らかに事実認定の法則である経験則に違反し、極めて偏見にみちた事実認定をしていることは明らかである。以下順次陳述する。

第一、恐喝にかかる各公訴事実について

第一審及び控訴審におけるもつとも大きい争点は、赤木一郎に対する恐喝事件及び小島善市に対する恐喝事件の成否である。

そこで先づ第一に赤木一郎に対する公訴事実につき第一審及び控訴審での証拠の取調べ及び公判廷に顕出された証拠にもとづきその成否を陳述する。

一、この事件における争点の一つは、昭和三八年一二月二七日に被告人が赤木に対し、いくらの金を交付したのかと云う点である。

この点について、第一審及び原審は当日現金一〇〇万円しか交付していないと認定しているが右認定が誤りであることはすでに控訴趣意書に詳述したとおりであるが、更に控訴審において取調べた証拠にもとづくとき、右認定が誤りであることは明白である。

即ち、当日豊和相互銀行佐伯支店より金一、〇〇〇万円が、児玉、赤木、中原等が集つていた料亭池彦に持参された事実及びその席で、豊和相互が担保にとるための赤木一郎所有の青桐荘に関する権利証、委任状、印鑑証明書等が同席した吉藤司法書士によつて確認され、その席で現金一、〇〇〇万円が児玉に交付された事実は、証人佐藤卓己(当時豊和相互銀行佐伯支店貸付係長)の証言により明白である。

二、赤木及び中原は、年の瀬が迫つた時点においてどうしても金融せざるを得なくなり児玉に無理に依頼して貸付残額の六九〇万円を借入れに行つたのであるから、当然この池彦の席において右貸付残額の交付が行われたであろうと判断するのが当然の経過であろう。

若し、赤木の主張するように一〇〇万円しか交付を受けなかつたと云うのであれば何故児玉に青桐荘に関する前記書類をすべて交付してしまつたのかその合理的説明はまつたく出来ないであろう。

しかも、翌年一月六日豊和相互銀行が抵当権設定のため、児玉と共に宮崎に行き、赤木、中原立会の上登記をした時に、赤木又は中原より貸付残金の請求もまつたくなかつたと云う佐藤証人の供述をみるとき、尚更赤木、中原の池彦での金銭の受授が一〇〇万円しかなかつたと云う供述の真憑性に疑問が強く出て来るところである。

一方、右佐藤証人は、児玉より日向銀行への送金の相談も受けておりこれに対し、指示している事実一〇〇万円の約束手形を赤木に交付した事実を児玉から聞いて知つていた事実を綜合するとき、当日池彦で交付された現金は被告人の主張するように現金四八〇万円であり、現金として交付されなかつた約束手形一〇〇万円と日向銀行に送金する七〇万円とを領収証の( )の中に書き入れたものであると考えざるを得ないのである。

第一審原審は「三一〇万円の領収証を返却しないまま四八〇万円の領収証を受け取り、更に仲介人中原俊栄に五〇万円を払つて赤木一郎名義の一〇〇万円の領収証を同人に書かせて受け取り」と認定しているが、若し、原審の云うように中原に五〇万円を払つて一〇〇万円の領収証を取つたと云うのであればその一〇〇万円の領収証は当然被告人のところに在る筈であるのに、その領収証が被告人のところにないのはどう云うことなのであろうか、三一〇万、四八〇万、一、〇〇〇万円の各領収証が存在しているのにその一〇〇万円の領収証は被告人のところにないのである。

被告人が之等貸金関係の書類と云うものは細大もらさず保管していることは押収された各物件をみても明らかでありそれにもかかわらずその一〇〇万円の領収証だけが被告人のところになかつた理由は第一審及び原審はどのように判断するのであろうか。第一審及び原審の判断はただ中原の供述を一方的に信用したために生じた明らかな誤認なのである。

三、一、〇〇〇万円の領収証の作成について

赤木及び中原は、検察官に対する供述調書及び公判定においてこの昭和三九年一月二三日作成された一、〇〇〇万円の領収証は、児玉から買戻しの契約書を取つていないため、児玉から脅迫され止むを得ず書いたものだと供述して来ている。

この点原審法廷において弁護人が中原に対し再三確認していたところである。

ところが、いわゆる買戻契約書は、昭和三九年一月一七日に作成されているのであつて、赤木、中原の一、〇〇〇万円領収証の作成理由と云うものが明らかに嘘であつたことが明白になつたのである。

四、この点について、中原の原審法廷における供述の変転は目まぐるしいものがある。

弁護人より一、〇〇〇万円の領収証の作成理由について尋ねられ、中原証人はそれ迄と同様に返えり証(前記買戻し契約書)が出来ていないため泣く泣く一、〇〇〇万円の領収証を赤木が作成したものと思うし、自分もそう思うと供述していたところ、弁護人より同年一月一七日作成された返り証を見せられ追及された途端、一、〇〇〇万円の領収証を作成させられた理由は一日でも利息が免れば担保物件が児玉の物になつてしまうからだと云うまつたく理由にならない供述に変つてしまつたのである。

これ迄の審理を通じて一度でもこのような理由によりこの一、〇〇〇万円の領収証を作成させられたと云う供述はなかつたし、その証拠もないのであるからこれは明らかに中原の出まかせの供述である。

それならば一、〇〇〇万円の領収証を脅迫されて作成させられたと云う理由は一体どこにあるのであろうか。まつたくどこにもないのである。

返り証の作成がないと云うのが唯一の理由だつたのであり又これしか一、〇〇〇万円の領収を書く理由は存在しないのであるから、赤木、中原が如何に虚偽の供述をして来たか明白であろう。

第一審及び原審の認定は明らかに誤りなのである。

赤木は一、〇〇〇万円を児玉から借受けたからこそこの領収証を作成したのであり、これ以外合理的な説明は出来ないのである。

原審法廷で調べた児玉忠義証人の供述どおり赤木等は一月二三日付の手形を持つて一、〇〇〇万円の最終残金を取りに来て、右忠義と一諸に佐伯信用金庫に行き金を受領した事実当日一、〇〇〇万円の領収を作成するため便箋を右忠義に持参させた事実等を合せ考えるときどうしても被告人の主張を肯定せざるを得ないのである。

五、赤木、中原の供述の信憑性について

証人中原の供述にあり又赤木本人も述べているように赤木はすでに本件事件発生以前に、事故により頭部を強打し、記憶力において極めて薄弱であつた事実よりしてその供述等も誘導により容易に捜査官に迎合的な供述をさせ得たことは極めて容易であつたと推定されるのである。原審法廷における赤木の証人尋問に対する態度は異常なものとしか考えられないものがあり、中原の証言によれば控訴審における赤木の状態はすでに小玉より金を借受ける時も同じ状態であつたと云うのであるから、このような赤木の身体的状況のもとになされた供述と云うものはその信憑性において極めて疑問があるものと云わざるを得ないのである。

現実に、赤木は中原の云われるがままに行動していた疑いが極めて強く、むしろ本件金銭貸借に絡まる中心人物は、中原ではなかつかの疑いが極めて強いのである。

児玉の供述のように、児玉より受領した金銭はすべて中原が鞄に入れて携行していたと云う事実より見ても中原が、児玉より受領した金銭を着服していたのではないか、それだからこそ赤木、中原等の間でもめて赤木が中原を告訴するに至つたのではないかと云う疑問が残るのである。

中原の供述に至つては、前述したようにその供述と云うものはまつたく変転としており到底信用できるものでないことは明白である。

しかも、原審法廷に証人としての呼出しを受けるや、自分の方から一〇年も音信を絶つていた被告人にわざわざ電話をして金銭をくれれば児玉に有利な証言をしようと申し込んで来た事実、そして児玉がそれに応じないことが判明したとなるや平然として前回の供述は偽証であつたと云う供述をすることができる人間の供述と云うものを一体信用し得るであろうか。

弁護人も一六年に亘つて様々な刑事裁判を経験して来たがこの中原証人のような厚顔無恥な人物と云うものに出会したのであり、むしろ恐怖さへ覚えた次第である。

原審の誤認はこの中原の供述にもつとも重きを置いた為であることは明らかである。

六、次に本件事件の特異性は、この赤木一郎の公訴事実を含めすべてが昭和四一年に摘発された脱税の関連で、検察官の認知事件として立件されていることである。

本件は、昭和三九年一月に発生した事件であるが、起訴されたのは昭和四三年であり実に四年後のことなのである。

赤木からの告訴があつたわけでもないのである。

本当に赤木に脅迫されたと云う事実があるならば、何故四年間もの間、本件をまつたく不問に付していたかまことに理解に苦しむところなのである。これは赤木自身に被害者としての意識がまつたくなかつたと云う以外に考えられないのである。

七、小島喜市に対する恐喝事件について

(一) 五〇〇万円の恐喝について

本件は、原審法廷において取調べた証人小林政太郎の供述により明らかなように金七〇〇万円及び担保物件に関する譲渡書類の受渡しの場所は小林政太郎司法書司事務所であることは右小林、証人高倉マサ子、被告人本人尋問の結果により疑いを容れる余地のないところである。

したがつて、右全員及び書類の受渡しの場所を旅館千尋と認定した原審の事実認定は明らかに誤りであり、これを前提として金五〇〇万円の喝取の事実を認定した原審の判断は到底破棄を免れないものである。

この点について、当初弁護人も事実調査の不足のため、金七〇〇万円の受渡し及び書類の受渡しの場所を千尋旅館であるとの誤認にもとづき控訴趣意書を作成したのであるが、その後の調査において右受渡しの場所は小林事務所であることが判明したのである。

すでに控訴趣意書において述べた如く、受渡し場所を千尋旅館だと仮定しても金五〇〇万円の喝取行為の成立する余地はまつたく存在しないと思料されるのであるが、右受渡し場所が小林事務所であつたことが判明した現在最早金五〇〇万円の喝取の成立する余地のないことは疑問のないところである。

第一審において小林証人を調べた際、この受渡しの場所について何等の尋問を行つていなかつたことがこの事実誤認を導いたものである。

しかるに原審はこの小林証人の証言をまつたく信用せず本件書類の受渡し場所を千尋旅館であると認定ししたのは極めて重大な事実誤認であり到底破棄を免れないものである。

この小林証言こそ本件物件の鍵を握ると云つても過言でない程の重要な証人であり阿部行人証人の証言の曖昧さを考えるとき小林証言こそ真実を語つているのである。

(二) 二〇〇万円の喝取について

小島善市に対する貸金五〇〇万円に上積みされた金二〇〇万円の喝取行為については何等具体的な脅迫行為はなく、存在しているのは九月三〇日深更から一〇月一日にかけて阿部百人宅において交渉をした結果、阿部百人の方から二〇〇万円の上積みを提示して来たものであつて被告人において小島に対し何等脅迫行為をした事実もなく又それを認定し得る証拠は皆無と云つて良い。

第二、脱税関係について

すでに原審法廷において提出した証拠により明らかなとおり本件脱税に関する本税は全額支払われており、重加算税、延滞金が残されているのみであり、これについては民事事件において課税処分取消訴訟の結着をみた段階で支払うことに税務署とも話し合いがついており税務署も右重加算税、延滞金に見合う財産を差押えているのである。

又すでに控訴趣意書において述べた如く、玉名興産に貸付けた金一、〇〇〇万円については完全に取立不能となり完全な損失となつているものである。

以上の点につき情状において充分考慮されるべき事由が在ると思料されるのである。

第三、結び

本件裁判は起訴後すでに一〇年を経過しており、この間被告人の経て来た生活は苦しみの一語につきるものと云つても過言ではなくこの中でも、竹田重雄及び赤木一郎の恐喝事件は昭和三八年より昭和三九年に発生したものを前述したように脱税の関連から本人達の告訴もないものを昭和四三年に至つて検察官の認知事件として立件した経緯を考えるとき、すでに弁護人が述べてきた如く、犯罪の成立そのものに極めて疑問のある事件ばかりであり、かつ被害者としての意識が果して存在していたかどうかを疑わしめる余地のある事件の経過であることは間違いのないところである。

被害者はいづれも児玉より金員を借受け、その意味においては経済的利益をそれぞれ受けて来ているのであつて、ただ返済に当つての多少のトラブルがこのような事件に発展して来た(これも捜査官の捜査のやり方一つで被害者としての意識を持たせることなどは極めて容易なことである)ものと考えられるのである。

これ等事件の性質、時日の経過などを考えるとき最早被告人に実刑を課してまで処罰することは余りにもその量刑において、重きに失するおそれがあると思料されるのである。

以上

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